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山口地方裁判所萩支部 昭和34年(わ)94号 判決

被告人 清水宗潤

明三六・三・一六生 僧侶

主文

被告人は無罪。

理由

第一、公訴事実

本件公訴事実は「被告人は昭和二五年頃から萩市大字椿所在大照院の住職なるところ、同人の承諾の下に同三一年一〇月頃から毎日朝夕二回同院本門二階にある梵鐘を打ち続けてきた同市大字椿字桜江第四二一一番地農業藤田精作との間に、同院の財産管理等に関して感情的対立を来し、そのため同三二年九月一三日頃右藤田に対し梵鐘を打つことをやめるよう申込みたるに拘らず、右藤田においてこれに応じなかつたため、これに憤慨して同月一五日午後七時頃常例の如く梵鐘を打つべく右本門階段目位を登りつつあつた藤田の左足首を掴んで引摺り落した上、同境内においてゴム草履等にて殴打、又は足蹴にする等の暴行を加え、因つて同人の左大腿部等に全治一週間を要する打撲傷を負わせたのである。」と謂うにある。

第二、認定事実(略)

一、本件に至るまでの経緯

(一)被告人は昭和九年頃から山口県萩市椿区濁淵所在長蔵寺の住職になり、昭和二五年頃から萩市椿字青海四一三三番地所在の臨済宗禅寺大照院の住職を兼務し、朝大照院へきてその宗務をとり夕方帰宅していた。大照院の住職たる被告人は宗教法人大照院の代表役員の資格を有し、その職務権限は大照院を代表してその事務を総理することであり、この法人大照院の設立目的は観世音菩薩を本尊として大本山南禅寺開山大明国師の法統を継ぎその洪範に則り、臨済宗南禅寺派の教義をひろめて広く信者及び衆庶を教化育成し、儀式行事を行い、その他この寺院の目的を達成するための事務及び事業を行うことである。而して本件山門鐘打堂の等大照院建造物の管理は被告人の職務に属し、又打鐘自身も被告人の職務に属するところである。被告人の性格は強く、気は短いようである。

(二)藤田精作(明治三二年九月一日生)は萩市大字椿四二一一に住み、自己は日蓮宗で大照院の檀家ではないが、小学校時代から同院の子僧に同年配の者がいたので同院に出入りし、現在自分の住んでいる叔母亡藤田ナツの家が大照院の檀家で、その後をついでいる姪藤文子は同院の信者である。それらの関係からであろうか、藤田精作には大照院の事務につき正式な資格がないのに昭和三〇年前後において同院の正住職推薦のことに奔走したり、被告人が同院境内の檜を伐つて売つたことにつき警察沙汰にしたりして被告人と感情的に対立し、それは次第に深まつていつた。

藤田精作の性格は一徹で短気のようである。

(三)藤田精作は昭和三一年一〇月二五日頃から大照院山門二階鐘撞堂にある梵鐘を朝晩二回撞くようになつた。この山門は相当古いものであり、二階の鐘撞堂に昇るには両側に階段があるが本堂の方から山門に向つて左側の階段は朽ちて使用不能となつており、右側の階段は一五段(地面に接する敷石の部分と階上の部分は除いて)からなり、巾五五糎、深さ一九糎で約五〇度位の上り勾配の急な階段でこれもかなり古く、腐しよくした箇所、補修した部分が見受けられるところである。梵鐘の種類は洪鐘と呼ばれる大きな鐘である。この鐘を撞くことについては藤田精作より被告人に許可を求めたが、前示のような感情的いきさつもあり、被告人は否定的な立場をとつていたけれども、強い要望から止むなく黙認した形であつたが、両者の間に益々感情的な溝が深まるとともに、他方被告人は右鐘撞堂の山門は相当古く打撞の為の昇降及び打鐘の際の梵鐘の動揺等により倒壊の危険があると思料し、藤田精作又は同人の妻藤田アイコ等に右朝晩の打鐘をやめてもらうように申し入れたが同人はこれをきこうとしないので、被告人は本件のおきた昭和三二年九月一五日より少し前に二回程国鉄萩駅前駐在所へゆき藤田精作が鐘をつかないように注意してもらいたい旨依頼にゆき、同駐在所巡査鹿屋兼磨は藤田精作に対し一度は萩市椿町大津理髪店で、一度は藤田精作宅で注意したが、同人は被告人から了解をえている旨答えて依然として鐘をつくことを止めなかつた。

そこで被告人はこの打鐘を何としてもやめさせようとし、他方偶々大照院の近所で映画ロケーシヨンが行われるとのことで、見物人が鐘撞堂に昇つてはいけないと思い、昭和三二年九月一三日頃鐘撞堂に昇る前示山門右側の階段下から五段(地面に接する敷石の部分は除いて。以下同じ)目位から上に向けて巾四寸、長さ二間位の五分板四枚(以下差止板という)を釘で打ちつけて、その板に「建物危険につき昇ることを禁ず」と書いた板(以下禁止礼という)を針金でつけておいたが、藤田精作は同日夕方その差止板をはずして上に昇り鐘を撞いた。

被告人は同月一四日朝右差止板がはずされているのを見て、藤田精作の昇楼打鐘のことを知り、前記駐在所へゆき藤田精作の昇楼打鐘のことを知り、前記駐在所へゆき藤田精作に注意をしてもらいたい旨依頼した(これは叙上二回駐在所に依頼に行つたうちの一回をさす。)ついで同月一五日昼頃被告人は差止板及び禁止札を前掲一三日にしたのと同様にしておいたのである。

二、本件の状況

(一)同月一五日午後六時頃(同日の日没時刻は午後六時二二分である)藤田精作はいつものように夕方の鐘をつくべく山門に来り、階段の下で今迄履いてきたスポンヂ製ゴム草履を同人が階段に昇る上履き用につかつていたゴム草履(以下上履き用ゴム草履と称す)に履きかえ、差止板をこわしかかり階段を昇ろうとしているのを、被告人が見つけ、「こら」「やめ」と云いながら階段の下あたりに近づいても藤田精作はなおも上に昇ろうとしていて、下に降りようとせず、下から五段目位のところで階段を背に向けるように向きをかえたが、被告人は上に昇らせないようにすべく、地上より右手をさしあげてその左足首を握り制止したところ、藤田精作は昇ろうとすることに一生懸命で、被告人の握つた手を振り離そうと足をもがいたはずみに背中を階段につけるような恰好で下にすべりおちて尻もちをついた。しかしすぐ立上り、非常に激昂して大声で「俺を普通のものと思つているか」と呶鳴りながら、前示スポンヂ製ゴム草履をもつて被告人にたたきかかつてゆき、被告人は「何するか」といつてこのスポンジ製ゴム草履をとりおさえようとし、藤田精作はとられまいとして被告人のシヤツに手をかけてかきむしり、お互に殴り合いをし、被告人は藤田精作より右草履をとつたが、藤田精作は自己の被つていた帽子や携帯していた煙草道具(キセル)等で尚も二回位おそいかかり、被告人はその度にこれを防ぐ為おしのけると藤田精作もその度にたおれるということを繰り返し、結局両名は殴り合いをし、それについで互に相手を非難罵倒し、口論し合つたのであるが、それは畢竟藤田精作は万難を排して何が何でも鐘をつこうとし、被告人の制止の隙さえあれば山門に昇ろうと企て、被告人は絶対にこれを制止しようとしての衝突である。

右のように互に暴行し合つた結果、双方とも着用していたシヤツは破れ、又藤田精作は全治一週間を要する右肩胛下部、左大腿打撲傷を負い、被告人も全治一週間を要する両肩胛部擦過傷を負つたものである。

(二)その頃、大照院から少し離れた萩市大字椿字桜江の橋本川と大屋川の合流点附近で魚釣りをしていた長蔵寺の番僧石橋勇次(昭和一二年三月三一日生)と同寺に下宿していた大橋承正(昭和一六年九月七日生)の両名は、大照院の方で大声がするのを聞いて様子をみるべく自転車に乗つて同院境内にきたところ、(その頃はまだ明るかつた)そこにいた被告人はその着ていたシヤツは肩から胸にかけて裂けているし、その近くにいた藤田精作は素足で大声でがんがんわめいているのを目撃した。被告人は藤田精作に対し「帰れ」といい、藤田精作は「帰らぬ」といつてにらみ合いの状態であつた。そして被告人は石橋勇次に藤田精作の実兄である萩市椿字桜江藤田耕一のところへ行つて、藤田精作を連れにくるように伝言を頼み、石橋勇次は直ちに藤田耕一宅にゆき、同人にこの旨を伝えたけれども、同人は「わしが行つても言うことを聞きわすまいから行かん方がよかろう」といつてこなかつた。そこで石橋勇次は大照院に帰つたところ(この頃は薄暗かつた)更に被告人は石橋勇次に対し、駐在巡査を呼んでくるように頼んだので、国鉄萩駅前の駐在所へ行つたけれども不在であつたので、又大照院にひき返しそのことを被告人に話した。(この頃はもう暗くなつていた)その時も石橋勇次に被告人が藤田に帰れと言つており、藤田精作は帰らんと言いはつているのを聞いた。そこで被告人は藤田精作を連れて境内を出て山門前(南東)まできたところ、近所に住む杉山キクノの夫が仲裁に入り、被告人は長蔵寺に帰つた。しかし藤田精作はなおも大照院の夕方の鐘を撞いて後帰宅したものである。このように藤田精作が被告人の強い制止にも拘らず鐘をつくのは、一度撞き始めたから継続したいという気持の外に、他方被告人と感情的に対立しているところからこのことによつて被告人に対する反対の意思を現していたものであつて、寧ろ後者の方が重な原因であつたことが窺知される。

三、本件後の様子

(一)被告人は翌日である同月一六日、国鉄萩駅前の駐在所にゆき、本件状況を話して、梵鐘を藤田精作が撞かないようにしてもらいたい旨依頼した。

(二)藤田精作は本件以後より昭和三三年一月下旬頃まで、右梵鐘を撞き続けており、その間、被告人が制止するため撞木に錠を施したのを切り取つて撞いたこともあり、又被告人が撞木を除けておいたのに「かけや」をもつて撞いたこともあり、被告人はそのかけや(木槌のこと)を同月三〇日萩警察署司法警察員小林晃に提出し、その後間もなく被告人が鐘撞堂に昇る階段の周囲に竹の柵を設けたため、藤田精作はその旨警察に話したところ、警察の方からの指示によりそれ以後は鐘を撞くのを止めたものである。

右の認定と異なる証人藤田精作、同井口とくゑ、同杉山キクノ、同藤田アイ子、同三谷研山の当公廷における各供述の一部分、井口とくゑ、杉山キクノ、三谷研山、国司経夫の検察官に対する供述調書各一通の一部分は前掲各証拠に比照し措信しえないところである。

四、正当業務の主張についての判断

刑法三五条に所謂正当なる業務による行為とは、法令の定むるところ条理の命ずるところに従い適切妥当なる職務の執行と認めらるべき行為をさすものであると解する。そこで被告人の叙上認定の如き行為が被告人の正当なる職務の執行としてなされたものであるや否やについて検討する。

一、先づ目的の正当性について考うるに、叙上認定事実によれば、

(一)本件当時、大照院の山門(階段、二階の鐘撞堂もふくめて)は相当古く、鐘撞堂の鐘をつくことは勿論、人が鐘撞堂へ昇ることすら危険な状態にあつたこと。

(二)藤田精作は大照院の信徒でもなく、宗派も大照院とは異教の日蓮宗であつて、しかも被告人から右鐘撞堂へ上ること、鐘を撞くことをやめるよう再三注意されていたこと、尚藤田精作は警察からも注意を受けていたこと。

(三)被告人は右山門を管理すること並びに鐘を撞くことの職務権限を有していたのであるから、右(一)(二)の状況において、被告人が藤田精作の鐘を撞くことを禁止し、又は右のような危険な状態にある山門二階の鐘撞堂へ上るのを制止することは、その目的において正当であるといわなければならない。

二、次に被告人が右の如き職務を執行するにつき、その手段の正当性につき考うるに、叙上認定事実によれば

被告人と藤田精作の間の口論、暴行は藤田精作は一途に鐘を撞こうとし、被告人は絶対にこれを制止しようとしての一連反覆行為であつて、被告人が階段途中にいた藤田精作の左足首を持つたのは同人が鐘を撞くため山門二階の鐘撞堂へ上るのを制止するための行為、即ち正当業務であることは明かであり、そのため藤田精作は階段より摺り落ちてから憤慨して被告人に立ち向つてきたのに対し、被告人と口論、殴打し合つたのであるが、この場合被告人としては藤田精作は右足が悪いし、その場を逃げ去ることは可能であつたと思われるが、その場を離れては藤田精作は直ちに鐘撞堂へ上つて打鐘することは必定であり、単なる説得ではこれを制止しうべくもなく、且つこれを制止すべく藤田精作の傍にいれば殴られるという状況にあつたと考えられる本件の如き場合、被告人が藤田精作の傍にいるため藤田精作より暴行されるのに、そのままにして手を措ねいていよというのは余りにも難きを強いるものであり、その暴行に対し自己を守り且つ職務の執行をするに相相応するような実力行為をなすことは真にやむをえないところであり、而して被告人が藤田精作の傍にいたことは勿論、右の如き実力行使をなしたことは畢竟藤田精作が鐘を撞こうとして鐘撞堂に上ることを制止するための手段であつて、この行為は即ち被告人の叙上職務に対する正当なる執行なりと解し得らるるところである。なお、傷害の程度も双方凡そ同程度で比較的軽微なものであり、これによつても両者の暴行は相相応する状況であつたことが窺われるのであり、被告人において特に藤田精作を傷つけてやろうとの意図を疑わしめるものは存しない。又被告人としては藤田精作に対し、右制止行為以前においても、自ら又は警察を通じてその注意をし、就中本件の途中においても警察の協力を求めていること等に徴すれば、被告人の右制止行為はその範囲を逸脱しない真にやむをえない状態においてなされた正当なる職務の執行と解するのが妥当である。

而して右のように正当業務の主張が認められた以上、正当防衛並びに自救行為の主張はこれを判断する要がない。

五、よつて本件につき刑法第三五条刑事訴訟法第三三六条前段を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石川正夫)

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